年明けに
Iさんが亡くなったのは聞いていた…
あの方には一度しか会っていない…
数十年ぶりに連絡がきた(Wさん)主催の(基本)リーフ・セッションで…
一緒に演奏もした…少しはお話も…
フリージャズのヒトという程度の知識はあったけど
どちらかと言うと 畑違い の感じで…
その時は「ステラ…」をやったのだけれど(他にもやったかも知れないが、ハッキリしない…)一応,僕はイン・テンポ、イン・コーラス風にやっていたのだが、何人かソロを回してIさんのソロに…
彼のソロは激しくて難しくて…そして、突然に終わった…
それで僕はこの人は本当に自由に(今の自分のステラ)を弾き切ったのだな…と理解した…
そのあとの僕も 精一杯の出鱈目…をやったようだ…
呑んでいたのでよくは覚えていないのだけど…
僕は捌けて(禿げて、ではない…)そのあとの演奏を聴いていたのだけど
若い衆に「ロ~ング、ロ~ング!」とか「ストップ!」とか指示を出していて
若者は抵抗するでもなく、必死に食いつこうとしていた…
僕にはちょっと(横暴な)風にも見えたが…
引き締まった空気(演奏)にはなった…
そのうちに 僕は
「このヒトは、真剣に(その場の聴衆や共演者と)勝負しているんだなぁ…」と気づいた…
ちょっと、リーフに対する見方が広がった気がした…
そういう耳で聴くと 確かに彼の (指摘)は頷けるモノだった…
その後、何日かして Iさんから電話があって
横浜の「A」の演奏を手伝ってくれないか?とのことで…
なんでもレギュラーバンドを解散してしまい、メンバーが決まっていない…とのこと…
(俺に務まるかなぁ?丸一日リーフなんて…)と思ってそう言うと
Iさんは 「大丈夫だよ、頼むよ…スタンダードもやるし…」とわけのわからないこと
を云い…
調べてみると 敵は相当の国際的アーチスト とのことで…
もう、考えないことにした…
その前日に あの「震災」があって、
町は混乱していて、いろんなところで催しやライブが中止になっていた…
僕はIさんに電話して 「明日やるんですか?」と聞いたら
彼は「そんなにヒドイのかい?俺んちはテレビがないからわからねえんだよ…毎月、 東北へ行ってるんだけど、中止かなぁ…」とか呑気なことを言っていて
結局は 中止になったのでした…
それ以来 会っていないので、あの日が(最後のチャンス)だったのでした…
そして
年末に亡くなっていたヒトがいた…
Kくん…
彼にも 先ほどのリーフ・セッションのときに出会って…
帰りは駅まで案内してもらって 一緒に東横線に乗り…
彼は都立大学駅付近に住んでいて 近所の「J」で よく呑んでいて、そこでリーフ・セッションを主催していました…
そのあとの ある晩に
「J」に遊びに行った僕が呑んでいると Kくんも立ち寄って
乾杯などして…
アフターに Kくんとテナーサックス奏者が演奏をはじめて…僕は(ベースがないので)太鼓で リーフのセッションに参加したのでした…
すごく面白かったです…
お店の女の子がかぶりつきで聴いて興奮していました…
⇒出来はどうだったのか、は 今となっては?です…(記憶にしかないのです…)
アフターでパーカッションでセッションに参加したことはありますが、ドラムセットでは あの時だけです…
また行こうと思っているうちに…m(__)m
二人の ピアニストのご冥福を祈って…合掌!!